2011年6月7日 星期二

江戸絵画 独創の美 五百羅漢展と写楽展

江戸絵画 独創の美 五百羅漢展と写楽展

2011年6月4日10時31分


写真:第23幅「六道 地獄」=写真はいずれも増上寺蔵拡大第23幅「六道 地獄」=写真はいずれも増上寺蔵

写真:第45幅「十二頭陀 節食之分(せつじきしぶん)」拡大第45幅「十二頭陀 節食之分(せつじきしぶん)」

写真:第10幅「浴室」拡大第10幅「浴室」

 江戸絵画の意欲的な展覧会が二つ、東京で開かれている。「五百羅漢」展(江戸東京博物館)は、幕末の絵師・狩野一信の仏画100幅を一挙に公開。奇想あ ふれる表現が随所に見られる。もう一つは、江戸中期の浮世絵師、東洲斎写楽の版画を中心とする「写楽」展(東京国立博物館・平成館)。同じ役者を描いた別 の絵師の作品と対比し、写楽の本質に迫っている。

■狩野一信、人生捧げた100幅―「五百羅漢」展

 狩野一信(1816~63)は、伊藤若冲(じゃくちゅう)や曽我蕭白(しょうはく)らに続く「奇想の絵師」。江戸生まれで、狩野素川という絵師に入門したと伝わるが、人物像には謎が残る。

 晩年の10年間、500人の羅漢を描くプロジェクトに打ち込んだ。その大作「五百羅漢図」100幅は東京・芝の増上寺に奉納されたが、昭和期以降は一部の専門家が知るだけで、全幅が寺外で公開されるのはこれが初めてという。

 「五百羅漢図」は表具も含めると縦3メートルを超す大幅。そこに、煩悩を克服し悟りをえた修行者である羅漢たちの営みが克明に描かれている。先行する羅漢図に学びつつ、奇想と独創的な表現を盛り込んだ図像は、いまなお鮮烈だ。

 例えば、鬼気迫る光景を描く「六道 地獄」では、羅漢が宝珠から光線を発して氷を解かす。その光の描写は「羅漢ビーム」とも呼ぶべき劇画調。西洋絵画の陰影法に挑んだ描写は、稚拙だが生々しい。身づくろいする羅漢たちといったユーモラスな場面もある。

 その他にも、羅漢たちの道行きを映画のように前方と後方からショットを切り替えてとらえ、修行中の羅漢が思い描く光景を漫画の吹き出しのように描くなど、近代的な視覚表現にも通じる手法が目をひく。

 一信は、増上寺関係者から援助を受けて念願の五百羅漢図の制作に着手したが、96幅まで描いたところで病没。妻と弟子らが引き継いで完成したとされる。たしかに第71幅以降は、病をえてか、筆力は明らかに衰えていく。

 「とくに最後の10幅は目を覆いたくなるほどだが、そこも含めて一信の人生を見てほしい」と本展監修者の山下裕二・明治学院大教授は語る。「そのうえで、今後の研究によって美術史が『一信のいる美術史』へと書き換えられることを期待したい」(西岡一正)

 ▽7月3日まで。月曜休み。



■浮世絵 比べて堪能―「写楽」展

 東洲斎写楽といえば、その正体をめぐる謎解きをはじめ、多様な切り口で語られてきた。「写楽」展では、「比較」がキーワードといえる。比べることで、写楽作品の本質を浮き彫りにしている。

 「一見するとデフォルメしていてマンガ的」。東京国立博物館の松嶋雅人特別展室長は写楽作品の特徴を形容する。その写楽だけで約170点、全体で300点近い作品を国内外から集めた。

 まず、同じ絵柄で2、3の異なる刷り、そんな写楽作品を何セットも並べる。色合いや保存状態などのわずかな差によって、役者の表情のニュアンスも違って感じられる。

 そして、同時代の絵師たちによる同一の役者の絵とも比べる。隣に出されるのは、歌川豊国や勝川春英といった手だれのもの。たとえば、三代目市川高麗蔵を 取り上げた作品の場合、誇張の少ない春英に対し、写楽のは目をカッと見開いた顔のアップ。ひと目見てそれとわかる作品だが、対照することで異質さがより くっきりと伝わってくる。

 伝統的な日本絵画は、実際には目に見えない理想の美を描き出そうとした。対して写楽は、ある種のリアリズムに徹し、演じる人物の内面までえぐり出そうと 挑んだ。「方法論的には欧米の写実的な絵画に近いのかもしれない」と松嶋さん。誇張と写実、その危うい均衡の上に、「矛盾の美」が花開いている。(新谷祐 一

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