カリカチュア(英・仏: caricature、伊: caricatura、独: Karikatur)は、人物の性格や特徴を際立たせるために(しばしばグロテスクな)誇張や歪曲を施した人物画のこと[1]。滑稽や風刺の効果を狙って描かれるため、現在ではしばしば戯画、漫画、風刺画などと訳されまた同一視されるが、もともとは16世紀イタリアに出現したと考えられる上のような技法・画風を指して使われた言葉である(イタリア語で「荷を負わす」「誇張する」を意味するcaricareが語源[1])。したがって本来は必ずしも風刺を含意するものではなく[2]、また写実に徹した風刺画などはこの意味ではカリカチュアではない[3]。
多くは絵画・イラストレーションなどグラフィックな形式において用いられるが、同種類の文学的な表現に関してこの言葉が使われる場合もある[4]。
目次
歴史[編集]
発祥[編集]
滑稽や風刺を意図して描かれた戯画、風刺画、落書の類は、例えば古代エジプトのパピルスに描かれたや古代ギリシアの民衆風刺画から中世における悪魔を描いた戯画、日本の縄文時代における線刻戯画や法隆寺の天井に残された顔の落書きなど、洋の東西を問わず古くから見られるものであり(漫画#歴史も参照)、より後代においては人物の容姿を誇張したレオナルド・ダ・ヴィンチの素描や、果物などを組み合わせて肖像画を描いたアルチンボルドなどに近代的なカリカチュアの先駆的な例が見られるが、このような誇張表現が「カリカチュア」という言葉とともに自立するようになるのは16世紀後半以降のイタリアにおいてである[1]。17世紀の美術史家フィリッポ・バルディヌッチは、『絵画用語事典』(1681年)において「カリカチュア」を以下のように定義している。「それはモデルの全体像の可能なかぎりの類似を目ざしたもので、冗談ないしは嘲笑を目的としてその人物のもつ欠点を故意に強調し、容貌の諸要素がすべて変形されているにもかかわらず、全体としてはその肖像がまさにモデルそのものであるように描かれた肖像画を指す」[5]。
マニエリスムの流れの中でこのような手法を開拓し「カリカチュア」という言葉とともに初めて用いたのが、16世紀後半に活躍した画家アンニーバレ・カラッチとその画派ボローニャ派の画家たちであった[2]。彼らは生真面目な画家仕事の合間に息抜きとして、いくつかのすぐれたカリカチュアを残している[5]。イタリアではその後17世紀から18世紀にかけて、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ、ジャック・カロ、ティエポロ親子(ジャン・バッティスタとジャン・ドメニコ)、ピエール・レオーネ・ゲッツィらのデッサンや版画によってカリカチュアは大きく発展した。ベルニーニは1665年のフランス旅行の際に、その肖像画家としての腕前を披露したことによって影響を与え、カロのグロテスクな人物版画はカリカチュアの代名詞ともなった。ティエポロ親子は温和でコミカルな人物画を残し、ゲッツィはローマの美術愛好家たちの風刺的なカリカチュアを専門に描いてイギリスの画家たちにも影響を与えている[1]。
政治諷刺の手段として[編集]
18世紀以降、特にイギリスとフランスではカリカチュアが政治風刺画の手段として普及するようになった[1]。イギリスにカリカチュアが伝わるのはグランドツアーが流行した17世紀と考えられるが、18世紀の半ばのイギリスではまだウィリアム・ホガースによる、政治・風俗を題材とした細密で写実的な連作版画が大衆の評判をとっており、プロの画家たちはカリカチュアの手法を採用することを拒んでいた(ホガース自身も自分の作品を「カリカチュア」と見なされることを嫌っていた[6])。しかしホガースが没した1760年代より、アマチュアから波及してカリカチュアが流行しイギリスにおける風刺版画の主流を占めるようになる(カリカチュア革命)[2]。その後に出たジェイムズ・ギルレイ、トマス・ローランドソンはナポレオンやフランスを風刺の対象として優れたカリカチュアを描いてイギリスの風刺画界を席巻し多くの模倣者を生み、その人気はジョージ・クルックシャンクへと受け継がれていった[5]。
このような流行の変化にはまた版画技法の変化も伴っている。ホガースらの銅版画は熟練と長い作業時間を必要とするエングレーヴィングであったが、ギルレイやローランドソンらの銅版画はエッチングであり、より短い作業時間でまた躍動感のある線を表現することが可能であった[7]。イギリスではこのような版画出版は1820年代に人気が衰え、風刺画は新聞・雑誌を中心とする時代に移行することになるが、この間に木口木版(幹を輪切りにして作る固い版)が新たな印刷技法として導入されることになる[8]。1840年創刊の人気漫画雑誌『パンチ』もこの方法で印刷された雑誌であり、中流家庭向けに風俗や政治を題材としたカリカチュアを描いて成功を収めた[5]。
一方、フランスにおいてはリトグラフ(石版画)による印刷がこのような風刺刊行物の主流を占めた。リトグラフの技術はナポレオン戦争の終わりの1815年にイギリスから導入されたものであったが、シャルル・フィリポンはこの技術による週刊新聞『カリカチュール』を1830年に創刊し、当時のルイ・フィリップの失政を標的にして大衆の人気を攫った[9]。特に評判を取ったのがルイ・フィリップの頭を梨に見立てるというアイディアで、フィリポンは自分のこのアイディアによるカリカチュアを画家に盛んに描かせて部数を拡大させ、1832年にフィリポンが創刊した日刊紙『シャリバリ』においても頻繁に登場させた[10]。中でもオノレ・ドーミエはこの梨頭を多数描いて人気画家となり、これを用いた一枚物の版画『ガルガンチュア[2]』(1831年)も大きな成功を収めるが、ドーミエはこのような過激な風刺が災いして罰金や懲役刑を受けることにもなった[11]。
『シャリバリ』の人気はヨーロッパ中に普及し、イギリスにおける前述の『パンチ』やドイツの『フリーゲンデ・ブレッター』といった同種の新聞の発刊を促した[12]。ドイツにおいてはヴィルヘルム・ブッシュによる幻想的な主題をもつカリカチュアが存在したが、1896年に創刊された風刺雑誌『ジンプリチシムス』が20世紀ドイツにおける先鋭的な政治風刺の牙城となり、またジョージ・グロス、オスカー・ココシュカなどが新しい美術の潮流の中で個性的なカリカチュアを描いている[1]。
一方、日本においては江戸時代に『鳥獣人物戯画』の作者鳥羽僧正の名を冠した鳥羽絵と呼ばれる略筆のスタイルが存在し、浮世絵師による多数の戯画・風刺画も書かれていたが[13]、近代的なカリカチュアが日本人によって描かれるようになるのは明治時代以降である。幕末の1862年、在日イギリス人画家チャールズ・ワーグマンによって、居留外国人向けの風刺漫画雑誌『ジャパン・パンチ』が創刊されるが、本家イギリスの『パンチ』を模したこの雑誌の評判は日本人にも伝わり、明治に入ってからこの雑誌のスタイルを参考にした『絵新聞日本地(えしんぶんにっぽんち)』や『團團珍聞(まるまるちんぶん)』といった日本人による風刺雑誌が刊行され[14]、特に後者で活躍した画家本多錦吉郎によって、それまでの日本にはなかった西洋風の風刺似顔絵のジャンルが開拓された[15]。このような雑誌に掲載された時局風刺画は『パンチ』にちなんで「ポンチ絵」と呼ばれるようになり、とりわけ自由民権期に盛んに描かれた[16](日本の漫画の歴史も参照)。
カリカチュアは今日においても新聞・雑誌のエディトリアル・カートゥーンで見られるだけでなく、その後に登場したあらゆる複製メディアにおいて掲載が行われている[1]。他方で現実的な対象の克明な描写から離れたカリカチュアの技法と画風は、ロドルフ・テプフェールの登場とそれに続く現代的なコマ割り漫画の登場を準備したとも考えられる[17]。
漫畫(英語,法語:漫畫,意大利:caricatura,德國:Karikatur)是,(通常怪誕)是誇張和變形的賜予,是為了突出人[1]的個性和特色的畫像。因為它是繪製瞄準的幽默和諷刺的效果,是現在經常漫畫,卡通,但翻譯成這樣的漫畫也被識別,技術,如對原被認為已經出現在16世紀的繪畫的意式風格是已被用於指代一個術語(意大利“Owasu負載”,“誇大”意思caricare詞源[1])。因此本來不一定意味著諷刺[2],也沒有漫畫等漫畫,其專門用於圖形在這個意義上[3]。
許多在圖形格式繪畫插圖所使用的,有時這個詞是用來相對於相同類型的文學表達[4]的。
內容[隱藏]
1歷史
1.1發源地
1.2作為政治諷刺的手段
2主要作者
3腳註
4參考文獻
5相關文獻
6相關項目
歷史[編輯]
起源[編輯]
漫畫被看作是安妮巴萊·卡拉奇。十六世紀左右
漫畫幽默和諷刺,諷刺的意圖繪製的,善良的塗鴉,例如漫畫描繪了來自古埃及畫和古希臘語紙莎草紙,在日本繩紋人漫畫中世紀魔鬼如陰刻漫畫和法隆寺,這可以從Younotouzaiwotowazu老中可以看出(漫畫#看歷史以及)的塗鴉天花板剩餘的臉部,達那誇張的人更後代外觀達芬奇和繪畫,但先鋒的典範現代漫畫如阿爾欽博托繪肖像水果的組合可以看出,對於這樣的最高級形容詞來獨立字“漫畫”一起從16世紀下半葉開始就在意大利[1]。在“繪畫術語詞典”(1681)一“漫畫”:17世紀的藝術史家菲利波·鮑爾迪納科奇(英文版),定義如下。 “其目的是作為一個盡可能地相似的模型的整體圖像強調了人作為一個笑話或目的嘲笑故意所具有的缺點,儘管出現的元件變形全部作為一個整體,它指的是一幅肖像,使其肖像完全是模特本身。“[5]
率先在矯飾流這樣的方法與“漫畫”字一起首次使用,是支配畫家安尼巴萊卡拉契及其精細博洛尼亞派在16世紀下半葉的畫家[2] 。他們在嚴肅的畫家的工作中留下了幾個優秀的漫畫作為放鬆[5]。在意大利,從當時的17世紀至18世紀,貝尼尼,雅克·卡洛特,提埃波羅父母和孩子(讓巴蒂斯塔和Jean多梅尼科(英文版)),皮埃爾·利昂Gettsui(英文)等人,素描和版畫漫畫發展很大。貝尼尼在1665年法國旅行,受那個時候秀出技能的肖像畫家,卡羅的怪誕人物版畫已經成為代名詞漫畫。提埃波羅親子留下輕微的滑稽肖像,Gettsui也影響了畫家的英國畫專業羅馬藝術愛好者的諷刺漫畫[1]。
作為政治禱告的一種手段
詹姆斯Gillray“葡萄乾布丁危機”(1805)繪製,當你Kiritoro到Wagamonogao世界和拿破崙(右)小坑。與Hogarth的風格相比[1],我可以很好地理解趨勢的變化。
自18世紀以來,漫畫已經成為流行的政治漫畫的手段,特別是在英國和法國[1]。雖然漫畫被傳輸到英國被認為是17世紀的大旅遊走紅,18由靜止威廉·荷加斯在英國本世紀中葉,精緻逼真的連作打印的是政治和海關和公眾口碑的主題採取專業畫家曾拒絕採用漫畫的技術(荷加斯自己討厭別人認為他們是“漫畫”的工作[6])。但是從荷加斯死了18世紀60年代,漫畫是佔據時尚和英國諷刺版畫的主流,從業餘(漫畫革命)傳播[2]。然後就出來了詹姆斯Gillray(英文版),托馬斯羅蘭森生兒掃了很多模仿者的英國的漫畫界畫拿破崙和法國的優秀漫畫為對象的諷刺,其受歡迎程度是喬治·被傳給Cruikshank [5]。
趨勢的這種變化伴隨著版畫技術的變化。霍加斯等雕刻但一直需要技巧和長工作時間的雕刻,Gillray和羅蘭森等的雕刻被蝕刻也代表在較短的工作時間的移動線條感有可能[7]。受歡迎程度減弱這種印刷品發布1820在英國,漫畫是由被遷移到集中在報紙和雜誌的時代,(硬盤版的切桿作)是新的端接木版這段時間它將作為印刷技術引入[8]。 1840推出廣受歡迎的漫畫雜誌“打孔”的也是這種方式印刷雜誌,成功繪製漫畫中,海關以及政治和受到中產階級家庭的[5]。
梨花梨Ph ier(“漫畫”1834)
另一方面,在法國,平版印刷(石印)佔據了這種諷刺出版物的主流。雖然技術的版畫是那些已經從英國引進於1815年,在拿破崙戰爭結束後,查爾斯·菲利波將在1830年通過這項技術推出週報“卡利卡蒂勒(法語版)”,在當時路易·目標菲利普的盜用,他追求人氣普及[9]。特別是,路易·菲利普的頭當時正在Mitateru的梨想法的聲譽,Firipon是擴大積極複製畫的畫家用自己的這種想法漫畫的數量,日報Firipon首次發表於1832年它也經常出現在“Sharibari(英文版)”[10]。其中,奧諾雷·杜米埃成為廣受歡迎的畫家畫了大量這種Nashiatama的,打印“卡岡[2]”使用相同的(1831)單品也是大獲成功的,杜米埃是這樣激進的諷刺受傷,被罰款,判處監禁[11]。
流行的“Sharibari”在歐洲非常流行,促使出版上述在英國“衝”或德國“Furigende-Buretta(英文版),”比如同類型的報紙[12]。雖然漫畫由威廉 - 布什一個夢幻般的主題是目前在德國,這是首次出版於1896年諷刺雜誌“Simplicissimus(英文版)”已經成為尖銳的政治諷刺的據點在20世紀的德國,也喬治總值,描繪了一個獨特的漫畫如奧斯卡·柯克西卡是趨勢的新技術[1]。
武漢先生出現在“日本打孔”封面(1878年)
在另一方面,有Ryakuhitsu的風格被稱為Tobae軸承筆者在日本的江戶時代“野生動物的人漫畫”的鳥羽主教的名字,但也寫了許多漫畫中,通過浮世繪漫畫[明治時期之後,日本人將畫出現代漫畫。 1862年江戶時代,由英國人在日本畫家查爾斯·威格曼,居住但諷刺漫畫雜誌老外“日本衝”推出後,這本雜誌的日本名譽模仿上游英國的“衝”也傳遞,我指的是雜誌的風格,因為明治“圖片報日本土地(Eshinbun Nipponchi)”,並開始了“逐步Chinbun(豐滿Chinbun)”諷刺雜誌在日本,如發表在[14 ],特別是畫家錦吉郎本田誰是在後者活躍,至今的西式諷刺畫像的流派不是在日本率先[15]。已發表在這類雜誌時事漫畫被稱為“衝畫面”中的“衝頭”的榮譽,除其他外,一直在積極吸引到自由民權期[16](見日本漫畫的歷史) 。
[1]漫畫是不是在報紙和雜誌的社論漫畫甚至今天才看到,我正在在出現那麼所有重複的媒體進行的。技術和漫畫的繪畫風格從現實的目標的渡邊捷描繪了,在另一方面,可以認為已經準備了現代作品分裂卡通羅多爾·托普弗的後來出現的[17]的出現。
italy
- アンニーバレ・カラッチ(1560年 - 1609年)
- ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598年 - 1680年)
- ピエール・レオーネ・ゲッツィ(1674年 - 1755年)
- メルキオッレ・デルフィーコ(1825年 - 1895年)
- カルロ・ペレグリーニ(1839年 - 1889年)
Annibale Carracci (1560 - 1609)
Jean Lorenzo Bernini (1598 - 1680)
Pierre · Leone · Gezzi (English version) (1674 - 1755)
Melquiorle Delphico (English version) (1825 - 1895)
Carlo Pellegrini (English version) (1839 - 1889)
イギリス
- トマス・ローランドソン(1756年 - 1827年)
- ジェイムズ・ギルレイ (1756年 - 1815年)
- ジョージ・クルックシャンク(1792年 - 1878年)
- ジョン・リーチ(1817年 - 1864年)
- ジョン・テニエル(1820年 - 1914年)
- チャールズ・ワーグマン(1832年 - 1891年)
- エドワード・リンリー・サンボーン(1844年 - 1910年)
- マックス・ビアボーム (1872年 - 1956年)
- ラルフ・ステッドマン(1936年 - )
England
Thomas Rowlandson (1756 - 1827)
James Gillray (English version) (1756 - 1815)
George Crook Shank (1792 - 1878)
John Reach (English version) (1817 - 1864)
John Tenniel (1820 - 1914)
Charles Wagnum (1832 - 1891)
Edward Linley Samborn (English version) (1844 - 1910)
Max · via Boom (English version) (1872 - 1956)
Ralph Steedman (English version) (1936 -)
フランス
- ジャック・カロ(1592年 - 1635年)
- シャルル・フィリポン(1800年 - 1861年)
- J・J・グランヴィル(1803年 - 1847年)
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- オノレ・ドーミエ(1808年 - 1879年)
- アンドレ・ジル(1840年 - 1885年)
- ジョルジュ・ビゴー(1860年 - 1927年)
France
Jack Caro (1592 - 1635)
Charles · Philippon (1800 - 1861)
J · J · Grandville (1803 - 1847)
Paul Gavarni (English version) (1804 - 1866)
Honore Daumier (1808 - 1879)
André Jill (English version) (1840 - 1885)
Georges Biggo (1860 - 1927)
ドイツ・オーストリア
- ヴィルヘルム・ブッシュ(1832年 - 1908年)
- トーマス・ハイネ(1867年 - 1948年)
- マックス・ベックマン(1884年 - 1950年)
- オスカー・ココシュカ(1886年 - 1980年)
- ジョージ・グロス(1893年 - 1959年)
アメリカ合衆国
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- アル・ハーシュフェルド (1903年 - 2003年)
- デイヴィッド・レヴィン (1926年 - 2009年)
- モート・ドラッカー(1929年 - )
Germany · Austria
Wilhelm Busch (1832 - 1908)
Thomas Heine (English version) (1867 - 1948)
Max Beckman (1884 - 1950)
Oscar Kokoschka (1886 - 1980)
George Gross (1893 - 1959)
united states of america
Thomas Nast (English version) (1840 - 1902)
Al-Hirschfeld (English version) (1903 - 2003)
David Levin (English version) (1926 - 2009)
Morto Drucker (English version) (1929 -)
その他
- ホセ・グアダルーペ・ポサダ(メキシコ、1852年 - 1913年)
- ルイ・ラーマーカース(オランダ、1869年 - 1956年)
- ククルイニクスイ(ロシア)3名の共有筆名。1924年より活動。
- アレックス・ガード (ロシア、1900年 - 1948年)
Other
Jose · Guadalupe · Posada (Mexico, 1852 - 1913)
Louis-Lamarckers (English version) (Netherlands, 1869 - 1956)
Kukuruinixsui (English version) (Russia) Three shared pencil names. Activities since 1924.
Alex Guard (English version) (Russia, 1900 - 1948)
A century of political cartoons; caricature in the United States from 1800 to 1900, / by Allan Nevins ... and Frank Weitenkampf ... With 100 reproductions of cartoons.
About this Item
- Title
- A century of political cartoons; caricature in the United States from 1800 to 1900, / by Allan Nevins ... and Frank Weitenkampf ... With 100 reproductions of cartoons.
- Contributor Names
- Nevins, Allan, 1890-1971.
- Weitenkampf, Frank, 1866-1962.
- Created / Published
- New York, C. Scribner's Sons, 1944.
- 勾選
Cartoon America : comic art in the Library of Congress / [edited by] Harry Katz New York : Abrams, 2006 點閱目次或全文 The cartoon history of the modern world / Larry Gonick New York : Collins, c2007- Thomas Fitzpatrick and the Lepracaun cartoon monthly, 1905-1915 / James Curry and Ciarán Wallace
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